「避難所では我慢」という発想を変えていくー災害避難所のパラダイムシフト

避難所の看板画像

 

本稿を書いているのは2024年1月17日です。

 

本来ならば明るく新年のご挨拶、というところかもしれませんが、元旦から立て続けに大きな出来事が相次ぎ、お祝い気分も吹っ飛んでしまいました。

 

今回のテーマは「災害避難所のパラダイムシフト」です。

 

知恵と工夫で災害対策をしてきた日本

日本は地震大国で、大きな地震、そして続発する津波に何度も苦しめられてきました。

 

そして、災害を経験するたびにそこから学び、より良い対策を取れるよう改善を重ねてきました。

 

僕は以前、海外の災害対策専門家を案内して岩手県宮古市田老にある「たろう観光ホテル」を訪問したことがあります。

 

たろう観光ホテルの画像
震災遺構 岩手県宮古市田老のたろう観光ホテル跡

 

ここは2011年の東日本大震災で津波被害を受けたところで、津波に襲われた観光ホテルを「津波遺構」として後世に語り継ぐ事業を行っています。

 

この地を地震と津波が襲ったのは、東日本大震災が初めてではありません。

 

1896年の明治三陸地震津波、1933年の昭和三陸地震津波など、過去にも大きな津波が襲ってきました。

明治三陸地震津波では死者・不明者1867人、昭和三陸地震津波では死者・不明者911人だったのが、東日本大震災では166人でした1)

 

防波堤の建設など、災害対策を重ねてきた結果です。

 

僕はこの事実を知って「自然の力はあまりに巨大で、人間にはとても抗えない。しかし、人間の知恵と工夫の価値はそれでもとても大きくて尊い」と感じたものでした。

 

このように、日本の防災能力は年々、進歩と改善が重ねられています。

しかし、そのようななかで大きな改善が見られない部分もあります。

 

例えば「避難所」です。

 

「避難所で健康維持」は不可能

避難所の様子

2016年熊本地震での避難所の様子
写真提供:髙田洋介氏(日本赤十字広島看護大学)

 

災害が発生するたびに、現地では「避難所」が学校や公民館に開設されます。

 

しかし、その居住環境は非常に厳しいものがあります。

 

電気、ガス、水道といったライフラインが遮断され、多くの人々が狭い空間で生活を共にしなければなりません。

 

2016年の熊本地震のとき、僕は益城町の避難所の感染対策をお手伝いしたことがあります。

そのときに感じたのは「災害避難所では抜本的な感染対策は不可能だ」というものでした。

 

まず、安全に自由に使える水がない。

アルコール手指消毒ではノロウイルスなどの対策はとれず、避難所でウイルス腸炎が流行すれば補液もままなりません。

 

インフル患者が発生しても、隔離もできません。

インフルエンザのような呼吸器感染症対策には「距離」の確保が必須ですが、大量の人がいるとその距離が確保できないからです。

 

感染症だけではありません。

 

血栓症や脱水といった症状は起きやすいですし、不眠やストレスといった神経・精神面での健康問題も甚大です。

 

小さなお子さんが泣いたりすると周囲に気を遣わねばならず、これもストレスです。

高齢者や基礎疾患を持つ人の健康状態がどんどん悪くなってしまい、災害関連死が発生します。

 

さらに、女性は(そして男性も)トイレに行くときの性被害などのリスクもあります。

 

つまりは、こういうことです。

避難所では心身の健康を確保するのは原理的に不可能である。よって、避難所を使わないことをゴールにしなければなりません。

 

災害避難所の進歩改善を妨げてきたもの 

避難所の様子

2016年熊本地震での避難所の様子
写真提供:髙田洋介氏(日本赤十字広島看護大学)

 

もちろん、発災直後には避難所は必要です。

道路が遮断されたりしたなかで、避難所は「当座の生命を守る」ための大事な拠点です。

 

しかし、往々にしてその避難所で何日も何日も生活する人がとても多いのです。

「家のことが心配だ」「家族が離れ離れになりたくない」と被災地に(自主的に)とどまり続けるのです。

 

熊本地震のときはそういう住民の意向が尊重され、僕の「避難所では健康維持は不可能だから、後方のホテルなどに2次避難すべきだ」という意見はたいがい無視されました。

「イワタは現地の人たちの気持ちが分かっていない」というわけです。

 

津波警報の技術は革新されたのに、避難所はいつまでたっても昔のまま。

「仕方がない(shikataganai) 」は日本人のメンタリティを表現するのに用いられる、海外でも知られている言葉です。

 

避難所対策は、まさにこの「仕方がない」メンタリティで停滞したのです。

 

これが、日本の災害避難所の進歩改善を妨げてきた正体です。

 

「避難所では我慢」という発想を変えていく

今回の能登半島地震では、行政はようやく重い腰を上げました。

 

2次避難を積極的に促したのです。

ですが、大多数の住民は2次避難に消極的です。

 

NHKによると、1月14日時点で石川県が用意したホテルなどの「2次避難所」は2万8000人分。

それに対し、2次避難所に入ったのはわずか792人でした。

 

しかし、ここで「仕方がない」と現状維持を許容してはいけません。

それでは次の震災が起きたときも同じことが繰り返されてしまいます。

 

パラダイムシフトとは「発想の方法を根底から変える」ことです。

「仕方がない」の対極にあります。

災害避難所に今必要なのは「パラダイムシフト」なのです。

 

発想の転換を示す画像

 

考えてみてください。

 

急性期の発災時、津波発生時は「皆バラバラに逃げろ。家のことも他の人のこともとりあえず忘れろ。大事なのは命だ」というメッセージが発信されました。

 

このメッセージは東日本大震災以降「常識」となり、多くの人にビルドインされた共通理解をもたらしました。

 

亜急性期にだって、同じ原理はアプライできるはずです。

 

「まずは命と健康。他のものはあとで取り返せばよい」という急性期の原理をそのまま使い、「とりあえずは2次避難所」に逃げるのです。

 

急性期にできたことが、亜急性期にできないわけがないのです。

 

「災害時には、皆歯を食いしばって我慢するのが当たり前。」

われわれはそう「思い込んで」います。

思い込みを排するのもまた、パラダイムシフトです。

 

「我慢が美徳」というブラック気質はわれわれ昭和の時代で終わりにして、新しい時代の新しい世代には「避難所で我慢しなくてよい世界」を残してあげるのが、われわれオールドタイプの責務だと思います。

 

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執筆

神戸大学医学部附属病院感染症内科 教授岩田健太郎

1997年 島根医科大学(現・島根大学)卒、1997年 沖縄県立中部病院(研修医)、1998年 コロンビア大学セントクルース・ルーズベルト病院内科(研修医)、2001年 アルバートアインシュタイン大学 ベスイスラエル・メディカルセンター(感染症フェロー)、2003年 北京インターナショナルSOSクリニック(家庭医、内科医、感染症科医)、2004年 亀田総合病院(感染内科部長、同総合診療・感染症科部長歴任)、2008年神戸大学大学院医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授 神戸大学都市安全研究センター感染症リスク・コミュニケーション研究分野 教授 神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長・国際診療部長(現職)

 

編集:宮本諒介(看護roo!編集部)

 

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