住民の笑顔のために、できることをやり尽くしたい|地域看護専門看護師
住民の笑顔のために、できることをやり尽くしたい|地域看護専門看護師
地域看護専門看護師
仙田 寿子(せんだ・かづこ)さん
大阪市平野区保健福祉センター 保健福祉課
▼2014年度 大阪府立大学大学院 看護学研究科 看護学専攻 博士前期課程 修了
▼2015年度~ 地域看護専門看護師
大阪市平野区保健福祉センターで保健師として勤務する仙田寿子さんは、保健師の仕事を続けながら大学院で3年間学び、2015年に地域看護専門看護師の資格を取得しました。
実践・相談・調整・倫理調整・教育・研究という専門看護師の役割を意識することで、業務の幅を広げることができたという仙田さんに、地域看護の魅力とやりがいを聞きました。
家に入れてもらえるまで2年。玄関先で声をかけ続けて
仙田さんが保健師になったのは、生活に近い場で患者や家族を支えられる仕事に魅力を感じたから。
新人の頃の業務は、住民からのあらゆる個別相談に対応することからスタートしたそう。思い出深い事例を聞くと…
「1~2年目の時に担当した20代の女性Aさんです。一人暮らしで躁うつ病を患っていらっしゃいました。
ご自宅がゴミ屋敷のようになっていて、近隣の方からご相談が寄せられたのがきっかけで訪問しました。Aさんが安心して暮らせるように、なんとか支援制度を使っていただきたいと思ったのですが、最初は家にも入れてもらえませんでした」
大阪市平野区保健福祉センターにお勤めの仙田さん
それでも仙田さんは定期訪問を続け、玄関先で少しでも会話するようにしました。
「訪問時に印象的だったのは段ボール箱の多さです。躁状態のときにネットショッピングしたものが積み上がっていて、玄関を開けるのもひと苦労という状況で、良い生活環境とは言えませんでした」
このままではAさんが外に出るのも難しいと感じた仙田さんは、訪問のたびに「段ボール持って帰るね」と声をかけて、少しずつ処分を進めました。
「玄関が片付くことで、Aさんが少しでも良い環境で安心して暮らせたらと思ったからです。
段ボールを処分するのが保健師の仕事なの?というご意見もあると思います。でも、そうしたお声かけを続けることで次第にAさんが心を開いてくださるようになり、2年目の頃にようやく家に上がってお話ができました」
その後、Aさんは仙田さんからの提案を受け入れ、区役所職員による清掃や、訪問介護などを利用するようになりました。
「時間はかかりましたが、少しずつ信頼関係を築いて、最終的に支援につなげることができてホッとしました」
「この取り組みをもっと広めるには?」個別支援で終わらせない
そんな仙田さんが専門看護師をめざしたのは3~4年目の出来事がきっかけ。先輩の凄さを目の当たりにして、衝撃を受けたんだとか。
「1~2年目はAさんの事例のような個別支援が中心でしたが、3年目以降は健康づくりなどの保健事業に関わるようになりました。保健事業の特徴はデータを扱うことです。
例えば住民の運動習慣を高めるためにウォーキングイベントを開催したことがあります。住民の健康に関するデータや区民アンケートから地域の特性や課題を分析して、イベントを企画・運営し、実施後には結果を分析して振り返り、次回企画に繋げる…という一連の流れがありました。
この時に一緒に関わった先輩が分析ツールを使いこなしてパパっと統計分析をされているのを見てびっくりしたんです。その後、その成果を学会でも発表されていて…、私は何の役にも立てませんでした」
地域看護の発展に向けて職員同士で議論を交わします
「今の自分にはとても真似できない」とショックを受けた一方で「こんなことができたらもっと仕事が楽しくなりそう!」とワクワクしたという仙田さん。タイミングよく、大学時代にお世話になった先生からの誘いもあり、大学院に通い専門看護師を目指すことにしました。
資格取得を経ての1番の変化は、ただ実践するだけでなく『この取り組みをもっと広めるには?』と考えられるようになったこと。
「というのも、自分ひとりでできることは限られています。何か実践するとき、自分のスキルアップだけでなく、保健師・看護職全体のスキルアップを念頭に入れて動かないと、『看護の発展』という専門看護師が果たすべき役割を果たせないんだということに、気づけました」
個別支援だけでは終わらせない。この意識がその後の仙田さんの歩みを大きく飛躍させました。
災害時の医療的ケア児の支援体制を整備。個別支援から市全体への取り組みに展開
専門看護師になって4年目の2018年6月、仙田さんが勤める大阪市で最大震度6弱の大阪府北部地震が起きます。
「当時、私は小児慢性特定疾病児の在宅での療養支援事業を担当していました。
地震発生後、電力の復旧は比較的早く、大きなトラブルがなかったものの、もしまた災害が起きて停電が続いた場合、ご自宅で人工呼吸器を利用しているお子さん達はどうなるんだろう、既に対策はできているんだろうかと気になりました」
急いで実態を調査したところ、その時点では何も整備されていないことが分かります。
そこで災害に備えた医療的ケア児の支援体制の整備にむけて、モデルケースによる個別避難計画の作成を急ピッチで進めました。
個別避難計画の作成に向けて地域の方と協議を重ねます
まずは実際にご自宅で呼吸器を利用されているお子様(Bさん)のご家庭に協力を依頼。地域担当保健師と一緒に訪問し、使用している医療機器や必要なケア、療養状況、備蓄品、支援者の情報、災害時のリスクなどをヒアリング。
さらには、区の防災担当者と連携して、避難所の開設基準や発電機の設置状況、避難行動要支援者名簿への登載状況を確認。それらの情報を、Bさんをサポートする訪問看護ステーションの看護師をはじめ医師や相談支援専門員など各職種10名以上と共有し、災害時の対応フローについて協議を重ね、Bさんの個別避難計画にまで落とし込みました。
また、近隣の工務店へも災害時の発電機の貸出について協力を依頼し、地域の民生委員へは、平時からの見守りと災害時の支援を依頼しました。
さらに、災害時にはBさんのご家族が自分で判断して避難や電源確保をできることも重要と考え、災害発生時の一連のチェック項目や判断基準、避難方法などを1枚のフローシートに集約。Bさんのご家族からは「このシートがあれば災害時も安心できる」と感謝の声が届きました。
次の展開はこの取り組みを市全体へ広めること。
仙田さんはこの事例を元に、難病担当保健師とともに個別避難計画の作成のためのマニュアル作成や、経験の浅い保健師でも、アセスメントと個別避難計画の立案が可能な様式を作り、市保健師の担当者会や研修会で報告。さらには後日、学会でも発表の機会を得ました。
「それぞれのタイミングで実践・相談・調整・倫理調整・教育・研究という専門看護師の役割を意識していたからこそ、できた取り組みだと思います」
発表後、仙田さんには各区の保健師さんから相談が寄せられました。
「アドバイスをしたり、時には一緒に個別避難計画の作成にあたったり、ケース会議に一緒に参加したり。医療的ケア児のいる市内すべてのご家庭にいきわたるまでこの取り組みが広がってほしいと思います」
住民の笑顔のために、できることをやり尽くしたい
仙田さんが感じる地域看護の魅力は、いろんな職種や地域の担い手と連携して、住民を支えられること。
「繰り返しになりますが、保健師一人じゃ何もできません。でも地域の方や各医療機関・各種団体と力を合わせれば、大きな取り組みに広げることができます。」
直近では、新規事業「ひらの百歳☆きらめき講座」を企画・運営された仙田さん。これはいきいき百歳体操に、認知症予防につながる様々なテーマの講座を組み合わせたもの。
「地域の方から『体操以外にも何かしたい』という声が届いたので、各方面に協力を依頼したところ、医師会や病院、警察・消防・企業など30団体以上が賛同くださり、認知症予防や健康づくりにつながる78講座を百歳体操の場で開くことができました」
地域役員や関係機関の方と住民の健康維持のための取り組みについて意見交換
一方、地域看護の難しさを感じることもあります。
「それぞれの取り組みが地域看護にどれほど役立っているのか、効果を検証するには長い時間がかかります。
簡単ではありませんが、地域の実情を把握している保健・医療の専門職として、しっかり振り返りと検証を行い、個別支援から事業化・施策化までの一連の流れを作り、より多くの方をご支援していきたいですね」
そんな仙田さんにモチベーションの源を聞くと「地域の皆さんの笑顔が浮かぶと、もっと頑張らないとと思えるんですよ」と弾けるような声が。
「まだまだ力不足を感じる場面も多いですし、できることも限られています。それでも『この地域がこんな姿になったらいいな』と思い描き、できる範囲で調べ尽くしてやり尽くして、地域に必要とされる取り組みを展開していきたいです。
地域看護の活動は、本当に素敵な出会いに溢れています。いろんな方とのつながりを大切に、力を合わせて地域の方を支えていきたいです」
看護roo!編集部 水村葉菜子
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