患者の迷惑行為で診療をどこまで断れる?|これってコンプライアンス違反?

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安藤亮=日経メディカル

 

一般に「医師は患者からの診療要求を断れない」と理解されている応招義務。しかし現実には、暴言などの迷惑行為や治療費の不払いを繰り返す患者に直面するケースも少なくない。医師は、どこまで我慢すれば診療拒否を認められるのだろうか。

 

2018年9月3日、厚生労働省の「医師の働き方改革に関する検討会」で、ある資料が提示された(図1)。記載されていたのは、患者トラブルを背景とする診療拒否の違法性が問われた裁判例だが、この全てのケースで医療機関側が勝訴している。

 

医師の働き方改革に関する検討会で三谷和歌子氏が提示した資料。

図1「医師の働き方改革に関する検討会」で三谷和歌子氏(田辺総合法律事務所)が提示した資料

 

この資料を示したのは、厚労省の「応招義務の解釈についての研究班」のメンバーを務める弁護士の三谷和歌子氏(田辺総合法律事務所)だ。

 

「応招義務の解釈についての研究班」のメンバーを務める弁護士の三谷和歌子の写真。

 

三谷氏が判例データベースなどで調べた結果、患者トラブルによる診療拒否で医療機関側が敗訴した例は見当たらなかったという。

 

同氏は、応招義務が問われ得る2つの場面を、救急搬送された患者の治療を断る場合と、日ごろから診ている患者の診療(通常診療)を断る場合に分け、「救急医療では原則として診療を断れない一方、実は通常診療に対しては裁判上、柔軟な判断がなされている」と指摘した。

 

 

医師が知っておきたい3つの通達

応招義務は、医師が国に対して負う公法上の義務で、その根拠は医師法第19条1項の「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」との条文だ。

 

応招義務違反に対する刑事罰はないが、医師免許の取り消しなどの行政処分を受ける可能性がある(実際の処分例は確認されていない)。

 

また、診療拒否によって患者に損害を与えたと認められた場合、民法709条の「不法行為」に当たるとして、医療機関や医師が損害賠償を求められることもある。

 

とはいえ現場の医師は、ベッドが満床、専門医が不在、患者が迷惑行為を続けているなど、様々な事情で診療を断ることを検討せざるを得ない場面に直面する。では、応招義務違反に問われない「正当な事由」には、どのような状況が含まれるのだろうか。

 

その内容を示したのが、過去に厚生省(当時)が出した3つの行政解釈だ(表1)。このうち昭和24年通達では「正当な事由」は「社会通念上健全と認められる道徳的な判断による」としているが、昭和30年通達では「事実上診療が不可能な場合に限られる」とし、診療拒否が可能な局面をかなり限定的に解釈している。

 

応招義務の「正当な事由」を規定する3つの通達を説明する図表。

表1 応招義務の「正当な事由」を規定する3つの通達

 

昭和24年通達は応招義務の一般論を規定するものであるのに対して、昭和30年通達は救急医療での診療拒否事例に対する回答として示されたもので、救急事例に適用される規範だ。

 

つまり、診療拒否が正当かどうかは社会通念を基に判断されるものの、救急医療に関しては「基本的に目の前にいる救急患者の診療を断ることは認められないと解釈できる」と三谷氏は説明する。

 

もう1つの昭和49年通達は、夜間急患診療体制が十分に確保されている状況下では、救急事例であっても休日夜間診療所などで診療を受けるよう指示することが可能としている。

 

ただし、直ちに応急の措置が必要な救急患者が搬送されてきた場合には、別の病院に転送する場合も含め、その場での応急処置を行う義務が生じるとしている。

 

では、これらの法律や通達を踏まえて現場でどう対応すべきか、日ごろから診ている患者への「通常診療」と救急医療に分けて見ていくことにしよう。

 

 

通常診療:再三の警告無視は診療拒否の「正当な事由」に

日ごろから診ている患者の治療において、診療拒否を検討する場面として多いのは、患者から迷惑行為を受けている状況だろう。三谷氏は「迷惑行為が継続していることと、それによる信頼関係の破壊を立証できるかがポイント」と指摘する。

 

診療行為は、医師と患者との信頼関係を前提としたものだ。そのため、患者の言動により信頼関係が破壊されたことが立証されれば、仮に患者から訴訟を起こされても、診療拒否の「正当な事由」と主張できる。

 

とはいえ、暴行などの犯罪行為があった場合を除き、「1回の迷惑行為だけでは、診療拒否は原則として認められないだろう」と三谷氏は語る。迷惑行為が繰り返されていることで、「診療の継続が医療機関側にとって多大な負担となっていることが必要になる」(三谷氏)。

 

冒頭に紹介した、患者の迷惑行為による診療拒否の是非が問われた裁判例では、いずれも患者が暴言などの迷惑行為を繰り返し、医療機関が長らく我慢してきた上で訴訟に至っている。

 

判例からは、迷惑行為の回数や悪質性がどの程度であれば拒否できるかという“境界線”は明確ではないが、三谷氏は「複数回の警告を行うという手順を踏むことが重要。患者が警告を繰り返し無視した場合は、応招義務違反には問われないはずだ」と指摘する。

 

患者から暴言などの迷惑行為を受けた場合、まずはそうした行為をやめるよう患者に伝える。それでも継続する場合、「次に迷惑行為があった場合は診療を拒否する」旨を書面や口頭で伝達する。そうした警告にもかかわらずなおも迷惑行為が行われていれば、再三の警告を無視したとして診療拒否する正当な事由となるという。

 

また三谷氏は、「患者の暴言の具体的な文言や、医師が行った警告の内容などを逐一カルテに記録しておくのが有効」とアドバイスする。

 

訴訟に発展した場合、迷惑行為の詳細な内容を後から思い出しても曖昧になりやすく、証言としての信用性が低くなってしまう。日時が記録されるカルテの中に、問題となった患者とのやり取りを記載することで、信頼度の高い証拠になる。

 

実際に診療拒否に踏み切る際には、応招義務違反とされないか慎重に判断する必要があり、「それまでの経緯を顧問弁護士などに相談した上で検討してほしい」と三谷氏は話している。

 

患者の迷惑行為を背景とした診療拒否が応招義務違反に問われなかった最近の裁判例


東京地裁判決2017年2月9日
(判例タイムズ1444号246ページ)

【事案の概要】
科医院でインプラント治療を受けた患者に対して、歯科医師が患者とのコミュニケーションが取れないとの理由で治療完了前に診療拒否を通告したことから、歯科医院に対して手術費用や慰謝料などの損害賠償を求めた事案

【裁判所の判断】
(1)歯科医師や職員に対して暴言を繰り返す、(2)治療に悪影響を及ぼす喫煙を控えるようにといった診療上の指示を守らない、(3)実施済みの治療行為に関する治療費について客観的に合理的な事情もなく複数回にわたって支払いを拒否する――といった患者の言動により、患者と歯科医師との間の信頼関係が破壊されていたと認められ、歯科医師が診療を拒否したことには「正当な理由」があるものと認められる

【判決】
損害賠償請求棄却(医療機関側勝訴)

 

 

治療費不払いも継続すれば「正当な事由」に

患者が治療費を支払わないケースについて、三谷氏は「患者が勝手な都合で不払いを何度も続ける場合には、それを理由として診療を断ることが認められると考えられる」と語る。

 

前述の昭和24年通達では「医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない」との記述があるため、1回の治療費不払いだけで診療を拒否すると応招義務違反に問われる可能性がある。

 

一方で、1956年5月22日の厚生省保険局長による国会答弁では、経済的理由などにより支払い能力がない患者については診療拒否が認められないのに対して、支払い能力があるにもかかわらず一部負担金を支払おうとしない患者の場合は、診療拒否の「正当な事由」が認められるとの解釈が示されている。

 

治療費の不払いを主たる争点として応招義務が問われた裁判例はないものと思われ、明確な基準はないが、支払い能力がありながら身勝手な都合で複数回にわたって治療費を支払わない患者の診療を拒否しても、裁判で応招義務違反は問われないというのが三谷氏の見解だ。

 

治療費不払いに対する診療拒否に関する国会答弁


1956年5月22日
第24回国会(参議院)社会労働委員会議録第38号
高田正巳氏(厚生省保険局長)の答弁

「(一部負担金を払えなかった)場合と、ほんとうは払えるのに払わなかった場合と二つがあります。それで前者の場合には、診療はやっていただかなければなりませんという解釈になります。後者の場合には、どうも今の解釈ではそこまでも医療機関あるいは医師にさような義務をお願いするのは酷であろうと思われるから、その場合には断わっていただいてもいいと解釈いたします」

「『正当な事由』の中にもう明らかに支払能力があると思われるような方が、自分はお医者様にお金を払うのはいやなんだということで払われない。はっきりそういうふうに声明しておるものまでもお医者様に必ず見てもらわなければならぬのだというふうな解釈をすることは、これはあまりにもお医者さんに対して酷な解釈ではあるまいか。従ってさようなものは『正当な事由』に入るであろうというふうな解釈になっております」

 

 

救急医療:「事実上診療が不可能」の根拠を示す

救急医療では前述のように、昭和30年通達により、診療を断れるのは「事実上診療が不可能な場合」に限定されている。そのため、既に救急患者が病院まで搬送されていた場合、治療を行わずに悪い結果が生じたら、この通達を根拠として訴訟を起こされるリスクがある。

 

1986年7月25日の千葉地裁判決では、病院まで搬送された救急患者に対し、入院設備が満床であることを理由に受け入れを拒否したケースについて、応招義務違反が認定されている。当該地域の中病院であったことなどの背景から、救急室や外来のベッドであっても応急措置を行うべきだったと判断された(表2)。

 

また、専門医が宅直(オンコール)で不在であったことを理由に診療拒否した事例(1992年6月30日の神戸地裁判決)でも、医療機関側が敗訴している。

 

救急事案における応招義務違反が問われた裁判例をまとめた図表。

表2 救急事案における応招義務違反が問われた裁判例
(「医師の働き方改革に関する検討会」で三谷氏が示した資料を一部改変。)

 

ただし、例外もある。1983年8月19日の名古屋地裁判決では、当直医師が救急患者の診療を断ったケースで、やむを得ない診療拒否として応招義務違反を認めなかった。このとき当直医は別の重傷者の治療に追われていた上に、搬送された患者の症状に対しては、不在である他科の専門医による治療が適切と判断して治療を断った。

 

この判例のポイントとして三谷氏は、「当直医が対応不可能な状況だったことを、明確な記録を基に主張できていた」点を挙げる。

 

当直・宅直の医師が他の治療などで対応できず、応急処置を行う医師も確保できない状況であれば、それは「事実上診療が不可能」な状況と主張できる。それを立証するためには、「当直医が誰で、どのような理由で対応不可能なのか、その時点で詳細な記録を残しておく必要がある」(三谷氏)。

 

「『事実上診療が不可能』なことを立証するための記録がポイントとなる」と語る三谷和歌子氏。

 

通常診療・救急医療を問わず、診療を断るに至った背景の記録が、訴訟時に主張を立証する際の拠り所となる。

 

なおここまで述べてきたのは、救急患者が実際に医療機関まで搬送されてきた場合の対応だが、実際には、救急隊から患者搬送の可否を打診された段階で、受け入れを断ることもある。

 

こうしたケースについて、ベッドが満床だったり、専門医が不在であることなどを理由に患者の受け入れを断る場合は、「裁判になっても応招義務違反が認められるとは考えにくい」(三谷氏)。

 

また、患者をいったん受け入れたものの対応できず、自院よりも適切な医療機関への転送を手配するケースは応招義務違反には問われないが、そうした場合でも重篤で直ちに応急措置を行う必要があれば、診療に応じる義務がある。

 

近年、医師の「働き方改革」が叫ばれる中で、応招義務に関する議論も活発化しつつある。

 

医師の職業倫理・規範として応招義務が強調されたことで、医師の過重労働につながってきた側面があり(関連記事〈※記事全文をご覧いただくためには「日経メディカル」の会員としてのログインが必要です〉)、実際、これまで述べたように救急医療の場面では応招義務は厳格に適用される。

 

一方で、医師法に「正当な事由がなければ」との条件が付されていることで、正当な事由に該当する場合には診療を断ることが可能になり、医師を過重労働から解放することになる。

 

特に、日常診療で迷惑行為を続ける患者に対しては、日常的にカルテに記録を残しつつ、弁護士とも相談しながら診療を続けるか否かを検討することが、本来治療を必要とする多くの患者への診療を無理なく行うことにもつながるだろう。

 

<掲載元>

日経メディカルAナーシング

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