緩和ケア病棟は「死ぬまでの間を生きる場所」|忘れられないカルテ

【日経メディカルAナーシング Pick up!】

 

テクノアサヤマ(緩和ケア医)

 

医師なら誰にでも「忘れられないカルテ」がある。

 

後日、冷や汗をかいた症例、奇跡的にうまくいった自慢の症例、「なぜあのとき…」と今でも後悔している症例、などなど。

 

ことあるごとに思いだし、医師としての自分の成長を支え続けている、心に残るエピソードを集めた。

 

著者 テクノ アサヤマ(ペンネーム)の写真。緩和ケア医、三次救急病院、僻地医療を経て、現在は市中病院ホスピスに勤務。「死ぬことは生きること」をモットーに患者の話に耳を傾ける。好きな言葉は「せっかくだから」。

 

緩和ケア病棟は「死ぬための場所」というイメージがある。しかし同時に「死ぬまでの間、生きる場所」でもある。「死ぬための場所」があることで、死ぬまでの間、生きることができるようになる。

 

ある女性との出会いを通して、私は緩和ケア病棟が生きるための場所であることを強く意識するようになった。

 

Uさんは臙脂色のスーツケースを引いて緩和ケア病棟にやってきた。はつらつと背筋を伸ばし、ピンク色のレンズのメガネをかけて「よろしくお願いします」と笑う。80歳近いが、歩くスピードは私より速い。何も知らなければ、この人が末期の膵臓癌で、モルヒネを1日に何mgも飲んでいる人だとはとても思えない。

 

「別居して30年、ようやく夫と離婚しました。息子の手伝いをするつもりでこっちに引っ越したらすぐ病気になっちゃって、どうしようか困っていたから、とてもありがたいです。ご迷惑にならないように頑張りますね」

 

独居老人という言葉について回るうら寂しさは彼女とは無縁だった。

 

朝には病院の寝巻きから花柄のセーターと黒いズボンに着替え、スクワットなど足腰の体操を行う。窓際には文庫本が積まれ、ベッドサイドでは読書や、友人への手紙を書いて過ごす。いつも姿勢をまっすぐにシャキシャキと歩いていた。

 

一方で癌の局所進展、肺転移、胸水貯留と病状は厳しく、私は余命3カ月と診断した。しかし彼女のかくしゃくとした姿に、もっと長く生きていられるのではないかと誰もが期待させられた。

 

ある日彼女は銀行の窓口に用事があると外出届を出した。一人で行けるわよ、と言うが何しろ末期の癌患者なので、付き添いがいるに越したことはない。ちょうど午前中の時間が空いていた私が一緒に行くことにした。

 

「わざわざ先生についてきてもらっちゃって悪いわ。ありがとう」

 

銀行までの短い坂道をしっかりとした足取りで歩く。私が気遣って歩幅を狭くしたり足の運びを遅くしたりする必要は一切なかった。

 

番号札をとって待合室の椅子に腰掛けた。昼前のオフィス街の銀行は混み合っていた。銀行員が近寄ってきて用件を聞き、タブレット端末を渡した。最近では、必要事項はタブレット端末に入力して手続きするようだ。彼女は面食らったようで、結局私がいちいち尋ねながら入力することになった。

 

入力の終わった端末を彼女に返すと、「私もスマホにしようかしら。スマホなら色んなことを調べたり、動画を見たりできるんでしょ。次、息子が来たらスマホのお店に行きたいわ」。

 

ああ、彼女は生きている。3カ月後の死よりも、今の生を、3カ月後までの現実を生きている。余命3カ月ということは、あと3カ月は生きているということだ。

 

毎日、病棟で誰かが死んで、仲良くお話していた人も次の週には死んでしまう。そんな毎日でそんな当たり前のことを私は忘れていた。

 

目の前の彼女は今を生きている。今私の隣にあるのは、一生懸命生きる命そのもので、その力強さに私は圧倒された。

 

そうですね、Uさんならすぐスマホを使いこなしそうです、と答えたところで表示板に彼女の番号が灯った。

 

手続きを一通り終えると流石に少し疲れたようで息切れがあり、私は予め持参していたモルヒネの速放剤を差し出した。

 

「ありがとう」。

 

待合室の椅子に座って症状が治まるのを待つことにした。彼女が息を整える間、目の前の柱に貼ってあるポスターの文字を読んで待っていた。端から端まで「退職金限定スーパー定期預金」の説明を読み終わった頃、彼女は立ちあがってリュックサックを背負った。

 

「もう大丈夫。ご迷惑かけてごめんなさい。帰りましょう。帰ったら、先生に謝らなきゃいけないことがあるの」私の顔を見上げて、白いを見せて笑っていた。

 

謝らなきゃいけないこと?と尋ねると、「帰ったらね。私、先生に怒られちゃうわ」。行きと変わらずスタスタと病院への道を歩いた。行きは下り坂だった上り坂も、私と同じペースで登っていた。

 

聴診器の写真。

 

 

「先生、お話いいかしら」

 

さっきの話ですね、と声をかけて面談室に彼女を呼び入れた。茶色の大きな紙袋を面談室のテーブルに置いて、いつも読んだ本の話をするのと同じ口調で彼女は話し始めた。

 

「ここの病棟に入院できることになって本当に感謝しているの。最初は2~3カ月待つと言われて、でも思いがけず早く入ることができて、本当にありがたいわ」。

 

それは彼女が入院したときから繰り返し語っていた内容だった。

 

「こっちにきて病気が分かって、もう手がつけられない状態だと分かって。余命は3カ月と言われているのに、緩和ケア病棟も3カ月待つって言われたから、私はどうしたらいいのかしらと途方に暮れていたの。一人暮らしもいつまでできるか分からないし、息子は息子で大変だから迷惑はかけられないし」。

 

息子さんの事業がうまくいっていないという話は後に知った。

 

「だから、体が動かなくなってしまう前に、自分で終わりにするしかないなって思っていたの。人に迷惑のかからないような山奥で、薬をたくさん飲んで終わりにしようと考えてた。今考えれば、そんなことしたら余計に迷惑かけちゃうのにね。でもそのために、処方される頓服の薬を、飲んでないのに嘘をついて溜めていたの」。迷惑をかけたくない、は彼女の口癖だった。

 

「そんな時に、ここの緩和ケア病棟に来週入れますってお電話頂いたの。心からホッとしました。おかげさまで今こうして居られています。自殺なんて悪いことを考えていたのを先生に話したら、きっと怒られるだろうなと思って言えなかった。でも、この隠していた薬が見つかったら病院にご迷惑をおかけするわね。だから、先生に全部お話しようと思ったの」。

 

紙袋の中身は山程の医療用麻薬だった。彼女が本気で自殺を計画していた証拠が質量を持ってそこにあった。

 

「この薬、もう必要ないわね。私はここに来れたから、もう何も心配なく生きていけるもの。こんな悪いことを考えて本当にごめんなさい。この薬は、私の罪だと思って、先生が処分してください」。

 

緩和ケア病棟があったから、彼女は生きられた。死ぬまでの間をどうやって生きたらいいか分からず、生きるのをやめようと思った人を、緩和ケア病棟が救った。

 

死ぬための場所があるから、死ぬまでの間、生きることができる。

 

この仕事をしていて初めてはっきりと、自分の仕事が人を生かしたという実感が、渡された紙袋の重さで目に見えた。私は泣いていた。

 

Uさん、こんな大切なことを話してくれてありがとうございます。もう自殺なんて考えたらダメですよ。ここで安心して暮らしていていいんですから、絶対にそんなこと考えないでくださいね。寿命が来るその日まで生きていて下さい。約束ですよ。と、私は小指を差し出した。指切りげんまんをしたら、彼女も泣いていた。

 

彼女は私との約束を守り、3カ月半後に寿命を全うした。死ぬための緩和ケア病棟が伸ばした彼女の3カ月の命。

 

「死ぬまでの間は、生きている」。

 

死ぬまでの命を生きてもらうために、私は今日も緩和ケア病棟で働いている。

 

<掲載元>

日経メディカルAナーシング

Aナーシングは、医学メディアとして40年の歴史を持つ「日経メディカル」がプロデュースする看護師向け情報サイト。会員登録(無料)すると、臨床からキャリアまで、多くのニュースやコラムをご覧いただけます。Aナーシングサイトはこちら

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