夢を叶えた先に。国境なき医師団を「支える人」になった理由

白川優子

看護師・国境なき医師団

 

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「国境なき医師団に入団する!」という夢を叶え、さまざまな紛争地・被災地を夢中で走り続けていた私に、ある心境の変化が訪れました。

 

今回は変わっていく私の「現場」についてお話ししたいと思います。

 

まさか、自分が現場を離れるなんて

2010年、長年の夢だった国境なき医師団(MSF)の一員として初めてスリランカへ派遣されてからというもの、世界各地の紛争地や被災地を駆け回ってきました

 

まさか自分が現場を離れる日が来るなんて、想像すらしていませんでした

 

国境なき医師団の活動に夢中になり、ただひたすらに「今」だけを見つめて走り続けていた日々。現場には、出会いがあり、学びがあり、喜びがあり、葛藤がありました。

 

現場の活動に向き合っているうちに、気づけば十年以上の歳月が流れていました

 

そして、ある日ふと、自分の心の中に問いが芽生えたのです。

 

この先、私は何に夢中になっていくんだろう?

 

国境なき医師団に入るまでも、入ってからも、私はずっと何かを追いかけ続けてきました。

 

現場での経験をまとめた初の著書『紛争地の看護師』を書き上げたとき、その夢がひと段落したように感じました

 

そして私はまるで、人生の中で道に迷ったような気持ちになっていたのです
 

 

「夢を叶える人」から、「夢を支える人」へ

海外派遣スタッフの募集説明会にて。©MSF

海外派遣スタッフの募集説明会にて。©MSF

 

その頃、私の前に開かれたのが、「採用担当者」という役割でした。

 

国境なき医師団での経験を持つスタッフが、次の世代の医療従事者たちの採用・育成を行い、派遣を支えるポジションです。

 

正直に言えば、最初から強い希望があったわけではありません。

 

けれど、なぜかすべてのタイミングが驚くほど自然に整っていき、「進みなさい」と背中を押されているように感じたのを覚えています。

 

さらに、尊敬する人生の先輩が私にこんな言葉をかけてくれました。

 

夢を叶えた人は、次に誰かの夢を支える側に回る。それがこの世界の摂理なんだよ」

 

この言葉は、私の心に深く届きました。

 

かつて私も、誰かに支えられてきたように、今度は自分が、誰かのサポートをする番なのかもしれないと思えるようになったのです。

 

ジレンマだらけの現場

国境なき医師団の活動現場で、私は数々のジレンマを感じていました

 

武力による医療施設への攻撃、スムーズに届かない薬、そして目の前で失われていく命。

 

看護師として、無力感に苛まれ、怒りを抱き、国境なき医師団を離れて戦争報道をするジャーナリストになろうかと本気で考えたことさえありました。

 

だからこそ、採用担当者という立場になったとき、これから現場に向き合う人たちに伝えたいことがたくさんありました

 

夢や憧れだけでは、現場は務まりません。実際、私自身がそれだけで飛び込んでしまい、苦しんだ経験があります。

 

日本と国境なき医師団の医療現場は違い、できること、できないことがあり、守れる命、どうしても守れない命もありました。

 

そうした現実を見てきた私だからこそ、これから現場に向かう誰かが、心の準備をして現実にしなやかに対応できるようにアドバイスできるのではないかと思いました

 

2019年、ファシリテーターを行った採用ワークショップの様子。©MSF

2019年、ファシリテーターを行った採用ワークショップの様子。©MSF

 

多様な背景を持つ「後輩」たち

2018年から始めた採用担当者の仕事では、年齢や経歴の異なる多くの方々の採用・派遣に関わってきました

 

若手からキャリアの節目を迎えた人、英語を懸命に学んできた人など、多様な背景を持つ方たちと出会ってきました。

 

医師、助産師、心理士、薬剤師、理学療法士など、幅広い医療従事者の想いや覚悟に触れる機会は、私にとってかけがえのない学びとなりました。

 

どんな背景であっても、国境なき医師団の現場に立てば、誰もが「新人」です


これまで、実際に採用に応募した人たちはもちろん、これから応募を考えている人たちからも、

 

「書類を書き直したので、添削してもらえますか?」

「英語でうまく答えられなかったので、もう一度チャレンジしたい」

「親に反対されています」

 

といった相談が、私のもとによく届きました。

 

また、国境なき医師団に入団した後も、出発前の不安、帰国後のモヤモヤ、現場からの助けを求める声もありました

 

「話を聞いてもらえただけで、少し楽になりました」

「あと3か月、がんばれそうです」

 

かつての私は、国境なき医師団に入りたくてたまらない「追いかける側」でした

 

説明会に出ては撃沈し、応募条件を見ては「やっぱりまだ無理か」と落ち込み、何度もあきらめそうになった日々。

 

そんな私が、反対側で、誰かの挑戦を支える立場になったことに、驚きを感じながら活動しました

採用を担当した救急医と、現場で再会。2024年、レバノンにて。©MSF

採用を担当した救急医と、現場で再会。2024年、レバノンにて。©MSF

 

現場を離れた私の、いまの「夢中」

多くの海外派遣スタッフを日本から採用し、現場に送り出してきた私は、採用担当者の仕事を2024年に終えました。

 

採用担当者を始めてからの6年間には、説明会に何度も出ていた研修医が、専門医資格を取得してようやく応募に至る…といった姿もありました。

 

語学力不足で面接が何度も通らず、もう国境なき医師団を諦めていた看護師は、今では世界を駆けまわる姿を見せてくれています。

 

かつて私は、「支援=現場に立つこと」だと信じていました。

 

ですが、誰かを育て、送り出すことで、その先にいる何百人、何千人の命に届く支援がある

 

それも、もう一つの「現場」なのだと次第に実感するようになったのです。

 

今はまた、時々紛争や被災の現場に行きながら、フリーのライターとして活動しています。

 

書いているのは、やっぱり国境なき医師団の現場のこと。小学生向け、看護師向け、一般の方々向けなどに、人道支援の現実や現場の声を、今も発信し続けています。

 

それが、いまの「私の夢中」

 

7歳の私が抱いた夢は、長い時間をかけて、少しずつ形を変えてきました。

 

追いかけ、叶え、そして今は誰かの夢を支える側へ

 

現場で、「人材採用」や「採用」で、そして言葉で。

 

私は今も、国境なき医師団と共に、生きています。
 

 

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執筆

看護師・国境なき医師団白川優子

埼玉県出身。高校卒業後、4年制(当時)坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006 年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年より国境なき医師団(MSF)に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど10ヵ国18回回の活動に参加してきた。著書に『紛争地の看護師』(小学館刊)。

 

編集:横山かおり(看護roo!編集部)

 

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