紛争地の看護師が直面した、死の恐怖
医療者すら「反逆者」扱いの紛争地で
初めての紛争地派遣となったイエメンでの苦闘と学びを経て、私がさらに深く紛争下での医療活動と向き合うことになったのが、2012年から2017年にかけて4度派遣されたシリアでの経験でした。

北をトルコ、東をイラク、南をヨルダンに囲まれたシリア。(提供:pixta)
そこでは、命を救う医療行為さえ、密かに行わねばなりませんでした。
内戦は2011年、民主化を求める市民の平和的なデモに、政府軍が武力で応じたことに端を発します。
「アラブの春」と呼ばれる中東の民主化運動の影響で広がった自由を求める声に対し、政府は銃撃や砲撃で応戦。非武装の市民もやがて武器を取り、衝突は全土に拡大しました。
病院前には検問所が設けられ、負傷者や治療にあたる医療者が「反逆者」として逮捕・拘束される事態となったのです。
国境なき医師団の医療チームもシリア政府から正式な許可を得ることはできず、私たちはやむを得ず無許可で国境を越え、複数の小さなチームに分かれて政府の目を避けながら医療活動を始めました。
私が最初に派遣されたのは2012年9月、配属先は民家でした。そこは、病院というよりもまるで戦場の延長のようでした。
運ばれてくる患者は手足や腹部、頭部に大きな外傷を負い、骨は砕け、内臓が飛び出し、泣き叫ぶ声と呻き声―。助けを求める家族の叫び声も響いていました。
当初は現地スタッフも不足しており、私は手術室の24時間体制を維持するために、激戦区だったアレッポから避難してきた人々や村の薬剤師に、技術を一から教えながら対応せざるを得ませんでした。
病院として使われていた民家。写真は男性病棟の様子。©MSF
手術室の助手は、現地のお調子者の大学生
通訳を介さずに会話ができることから、私は英語が話せるムスタファという現地の大学生に、手術室での仕事を徹底的に教え込みました。
彼は飲み込みが早く、非常に頼もしい存在でしたが、本来であればまだ遊びたい年頃です。従順で素直な一方で、少し調子に乗りやすいところがあり、私はしばしば振り回されていました。
姿が見えない彼を必死で探していたところ、「サンドイッチ買ってきたよ」とのんきに現れた彼に、かけようとしていた叱責の言葉を飲み込んだことや、建物の片隅でぐっすり眠っているのを見つけて、叩き起こしたこともあります。
すぐに収まると思っていたシリア内戦ですが、負傷した市民たちにどれだけ手を尽くしても戦争の音は止みませんでした。
なぜ医療を行うのに、隠れなければならないのだろう――。
当時の私は、まだ紛争地派遣は2回目でした。物資も薬も予定より早く尽き、血を流す市民らを目の前に、胸が押しつぶされそうでした。
お調子者のムスタファは時に得意げな表情で「ここは俺に任せて、優子は少し休んでて」と言ってきたりすることもあり、まるで自分がリーダーにでもなったような口ぶりに脱力してしまうこともありました。
生意気だけど、どこか憎めない――そんなムスタファの存在に、振り回されながらも、どうにか手術室を回す日々でした。
シリアでの治療の様子。イギリスから派遣された外科医と。©MSF
病院が空爆される恐怖にムスタファは――
ある日、病院の上空に政府軍の飛行機が現れ、病院中の患者さんもスタッフもパニックに陥りました。
「空爆される!」と、私も動揺し、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。手術の真っ最中だったのです。
そんな私の肩に、誰かがそっと手を置きました。振り向くと、真剣な表情をしたムスタファでした。
彼は静かに言いました。
「俺は怖くないよ。優子も怖がらないで。優子が死ぬときは、俺も死ぬときだから」
驚きました。あのムスタファが、ものすごく頼もしく見えました。
「……わかった。大丈夫」
戦争が始まるほんの少し前までは、都心の大学で教師を目指していた彼が、今では私から教わった滅菌操作で外科医にガウンや手袋を装着させ、淡々と手術の準備を進めている――。
その姿を見ながら、私は思わず涙がこみ上げました。
彼は、誰よりも覚悟を持ってそこに立っていたのです。私も、腹をくくらなければ。私は再び、手術台の患者に向き直りました。
手術室にて。写真右の男性がムスタファ。©MSF
隠れた医療活動を守ってくれる現地住民たち
ムスタファのほかにも、多くの避難してきた大学生や村の住人たちが、私たちの活動を政府の目から守りながら支えてくれました。
病院の掃除やベッドシーツの洗濯、患者さんの食事の支度を手伝ってくれる方々、、病院を守る門番、移動用のドライバー、さらには前線から患者さんを安全なルートで搬送してくれる人々まで――。
やがて、隠れて医療活動をしていたこの民家には、「患者さんのために血を分けたい」と献血に訪れる人たちも現れるようになりました。
避難民キャンプから足を運んでくれる人、女性や初老の方の姿もありました。
シリアでの経験がくれた覚悟

当時のシリアの活動地周辺。戦争をしている国とは思えないほど、のどかな景色が広がっている。©MSF
報道の光が当たりにくい場所で、市民たちが理不尽な戦争に抗い、力を合わせて生き抜く姿を、確かに私はこの目で見ました。
「なぜ医療を届けるのに、命を危険にさらさなければならないのか」
怒りや疑問に何度も揺れましたが、それでもムスタファをはじめ、現地の人々は国境なき医師団の活動を繋ごうと支えてくれていました。
戦争さえなければ、大学に通い、商売を営み、家族にご飯を作り、何気ない日常を穏やかに暮らしていたはずの人たちです。
戦争の愚かさに振り回されるのは、いつも何の罪もない市民たちです。
「そんな市民たちのそばで、これからも支え続けたい」
その思いを強く抱いたシリアでの経験は、私が国境なき医師団の看護師として歩み続ける覚悟を定めた原点となりました。
いま、この原稿を書いている時点で、私は世界各地で19回の派遣を重ねています。
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看護師・国境なき医師団白川優子
埼玉県出身。高校卒業後、4年制(当時)坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006 年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年より国境なき医師団(MSF)に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど10ヵ国18回回の活動に参加してきた。著書に『紛争地の看護師』(小学館刊)。
編集:横山かおり(看護roo!編集部)
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