「そりの合わない人間」と働くということ|Dr.ヤンデルのちょっとお茶でも(1)

 

仕事がイヤだなと思ったことはありますか?

 

私はあります。それなりの頻度で。

 

皆さんはいかがでしょう。毎日楽しいことばかりでしょうか。イヤなことなんて一つもないでしょうか。そうだったらいいんですが……きっとたいていの方は、イヤなこと、ありますよね。

 

人間、イヤだな

仕事の、何がイヤですか?

 

私の場合は人間関係です。

 

人間、イヤだなー、とわりと毎日思っています。

 

人間のイヤなところ、語ってもいいですか?

 

まず、みんな、自分勝手です。相手の気分になって考えられる人間って存在しないんじゃないかってくらいに、自分のことで頭がいっぱいです。

 

私は、私のことばかり考えてくれる人間とだけ仕事をしたい。でもそんな人はいません。だから、仕事がつらいと感じることがあります。

 

たとえば、何か仕事でトラブルがあるとするじゃないですか。そこで上司とか他部門の人とかが、たまにこういうことを言います。

 

「困るんだよね~」

 

いやいや……だから何? って瞬間的に感じます。

 

「困る」は、その人の主観ですよね。

 

「システムがうまく回らなくなる」とか、「患者に迷惑がかかっている」とか、「病院が百億円の被害を被った」とか、具体的に起こったトラブルを指摘されるならまだしも、「その人が困る」っていう理由で怒られなきゃいけないんですか? 

 

 

他にも人間のイヤなところはあります。

 

他人が「何考えてるかわからない」ところがすごくイヤですね。内心、何を思っているか、全然見えないのがストレスです。

 

マンガだとフキダシの中に頭の中のセリフが出るじゃないですか。現実だと出ませんよね。リアルって機能が弱いなあって思って、がっかりします。

 

みんな、心のうちをもっと言葉にして明かしてほしいです。

 

 

ただ、この、言葉っていう道具、そもそも、めちゃくちゃ使いづらくないですか? 

 

言葉ってそれほど便利じゃないですよね。ニュアンスの部分がうまく伝わらないですし。

 

言葉にした瞬間から、感情そのものズバリじゃなくて、微妙な近似になってしまうこと、ないですか?

 

たとえば、犬がいて、お座りしてシッポふってたとして、それがある時、グッ!と眉間にシワを寄せたとします。

 

それを見て、えっどうした、何その感情どうしたのうけるね、へえ、犬もグッ!って眉間にシワ寄せたりするんだ、めちゃめちゃ興味深い……ってなると思うんですけど(普通なりますよね)、そこでもし、横にいる人が「かわいい~」って言ったら、私はもうその瞬間に、「は?」って思うんですよ。

 

今のを「かわいい~」一言で説明していいと思ってんの?

 

「かわいい~」だけじゃなくない? もっと深くない?

 

こういうとき、日本語弱ぇ~、って思うんです。もっとなんか、いろいろあるだろ、と。

 

人間が複数いると、そこで何かを一緒に見たときに、それぞれいろいろ考えることがあると思います。でもそれを、日本語にして共有しようと思った瞬間から、いきなりズレますね。

 

言語化できない部分で、人間同士はかなり異なっているんじゃないかと思います。

 


あと、なんか、思ってもいないことを勝手に補足されたりするのもイヤですね。

 

たとえば、私は普通に働いているだけなのに、いきなり話しかけてきて、「今日もしかして機嫌悪い?」って言ってくる人、あれなんなんですかね。

 

別に普通だったのに。

 

何を見てそう思ったの? どうせ顔色とか目つきとかでしょう? 顔色がほぼ土で目つきがほぼ槍(やり)なのって、これ、生まれつきなんですよね。

 

機嫌悪くなかったけれど、「機嫌悪い?」と言われたために、機嫌悪くなる、みたいな。

 

本来の私と違うことを勝手に言われるの、しんどいです。他人って、私の表面だけしか見ていないくせに、奥の方を探ろうとするじゃないですか。絶対あんたには見えないはずのところを、なぜ見通せると思うの? 

 

 

……と、まあ、私はこういう人間です。

 

他の人間のイヤなところがいっぱい目につくし、人間の中で働くことがしんどいです。できれば自分を賛美してくれる人たちだけに囲まれてぬるぬる働きたい。「コミュニケーションエラー」がない世界で暮らしたい。

 

長年そう思ってぐちぐち悩んで、苦しんで、ギリギリすり抜けて、かろうじてやりくりしてきました。

 

まとめると、「私は人間とそりが合わない」。

 

皆さんはどうですか? 私よりはマシですか? それとも、似たところがありますか?

 

あなたは私ではないから、きっと、いろいろ違うんだろうな。

 

そういうところも含めて、やっぱり私は人間とそりが合いません。

 

ところが最近、あることに気づきました。これ、思い付いたときには、ちょっと大げさかもしれませんが、世界の見え方が変わりました。

 

世の真実にたどり着いた? くらいのことを思いました。

 

この記事を読んでくださっている皆さんにはお伝えします。

 

じつは、

 


「そりが合わない人と働くことで、給料が発生する」

 


んですよ。

 

 

もしも世界が「そりの合う人」ばかりだったら

「仮に」の話をします。「if」です。

 

仮に、上司や同僚や仕事相手が、私と全く同じ感覚を持っていて、私と同じ世界の見方をしていて、私と同じ言葉の使い方をしていて、そして、私が喜ぶことだけをやっていたとしたら。


そこに私がいる意味が、なくなると思うんですよ。


私と同じ感性の人だけで職場が構成されているということは、極論すれば、スタッフ全員が私のコピーになるってことです。それって「働きやすくなる」かもしれませんが、「私の代わりがいくらでもいる」ってことにもなります。

 

逆に、上司や同僚や仕事相手が、私のことをわかっていないからこそ、「俺にはよくわからんが、自分と違う感性を持っているあいつにならわかるかもしれない」という理由で、仕事が回ってくることがあります。

 

全員が互いのことをよくわからないからこそ、「自分にできないこともあいつならできるかも」って可能性が生まれてきます。

 

今年私は45歳になって、かれこれ20年くらい現場で働いているんですけれど、この間、ずっと、仕事相手である臨床医、ナース、技師、あるいは学会や研究会で出会う他病院のスタッフと、どこか「そりが合わないなー」と思ってやってきました。

 

他人って私が驚くようなことばかりします。そして、私が知らないことを知っている。私が見ていないところを見ているし、みんなが見えないところを、私が見ることもある。

 

そんな「そりの合わない人間」と働いていると、いいことが起こります。

 

私一人ではできなかった仕事を共同で成し遂げたり、私だけが持つスキルによって仕事がうまくいって「あなたがいないとできなかった」と感謝されたり。

 

「そりが合わない部分」というのは、私が持つ個性、特技、私がここで働いていい理由になっていたのです。そりが合わないスキマから給料が湧き出てきたと言っても過言ではありません!

 

 

……と、書いてみて思いましたけれど、言葉にしたとたんに少しズレた気もしますね。でもまあ、日本語ってそういうものです。

 

ズレたまま、合わないままで、ズレの中に自分がいる意味を探すのが良いのかなって思います。自分勝手な人間同士が、替えの効かない個人として働くことで、じつは職場がうまくいくのかもしれない、なんてことを思います。ではまた。

 

 

執筆

病理医ヤンデル(市原真/いちはら・しん

病理専門医。1978年生まれ。2003年北海道大学医学部卒、国立がんセンター中央病院(現国立がん研究センター中央病院)任意研修後、JA北海道厚生連札幌厚生病院病理診断科。現在、同科主任部長。医学博士。著書『対比で読み解く超音波画像×病理組織像』(医歯薬出版)、『新人ナースあるあるの森』(日本看護協会出版会)、『病理医ヤンデル先生の医者・病院・病気のリアルな話』(大和書房)、『はじめまして病理学』(照林社)など。ThreadsInstagramブログ

 

編集:烏 美紀子(看護roo!編集部)

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