ドラえもんとミッキーで考える「ファクト認識」

ドラえもんの声優は誰がいい?

ファクト認識は重要です。

 

世の中にはいろんな意見があります。

意見が多様なことはよいことです。

 

「多様性の時代」なんていいますが、そのくせ、多くの人は自分と異なる意見の持ち主に否定的な見解を持ちがちです。

 

それじゃ、だめなんです。意見がいろいろあること自体が、よいことなんですから。

 

「やっぱ、ドラえもんの声は大山のぶ代だよね」

「いやいや、水田わさびもいいですよ」

「どっちでもよくね?」

「ていうか、やはり原作漫画のほうが」

 

これらの見解はすべて「多様な意見」であり、どれが正解、どれが不正解ということはありません。

 

多くの命題には正解が存在しません。それは概ね、「好みの問題」なのです。

「好みの問題」には原理的に優劣も存在しません。

 

大山のぶ代と水田わさびのどちらが声優として優秀か。

 

声優戦闘力みたいなデジタルな指標が仮にあれば、それを根拠に勝負できるかもしれませんが、仮にそんな物があったとしても(ないですけど(笑))、「私は大山のぶ代のほうが好き」「私は水田わさびのほうが好き」「どっちでもよくね」という個々の「好み」を凌駕する根拠にはなりません。

 

また、「私は大山のぶ代のほうが好き」という見解は、「私は水田わさびのほうが」という見解を否定する根拠にはなりません。

 

それぞれが、それぞれに正しいのです。

 

サッカーの世界では、リオネル・メッシとクリスチアーノ・ロナウドのどちらのほうが名選手か、という議論がしばしば行われますが、しばしば行われるという現象そのものが、それぞれの好みの主張の優劣を判定する根拠が存在しないことを図らずも証明しています。

 

そういう根拠があれば、この議論はすぐ決着つきますからね。

 

という認識のもとで、メッシとクリスチアーノ・ロナウドはどっちが優れているか。

自分目線で主張しつつ、他人の見解を十分に尊重し、かつ第三者的で客観的な目線では、この問題にはどのみち決着はつかないんだ、という諦観を同時に持つ、そういうアクロバティックな態度が必要です。

 

なんか、突然難しいことを申し上げましたね。

でも、これって案外、簡単なことなんです。

 

「主観」と「ファクト」の違い

 

我々が、やんごとなきネズミの国に行くとき、可愛らしいミッキーやミニーに会って嬉しくなります。

 

ハグしてもらったり、一緒に写真を撮ってもらったりします。

 

しかし、喜んでいる一方で、私達はミッキーやミニーが本当は「ネズミ」なのではなく、中には人が入っていることを知っています。

 

知ってはいるのですが、その現実はいったんどこかに置いておいて、「きゃー、ミッキーだー!かっわいい!」とハグしてもらうんです。

 

中にいるであろうおっさん(たぶん)の存在は、いったん脇においておくわけですが、その実「中には実はおっさんがいるんだろうな」という現実も承知しています。

本当に本当に巨大ネズミだと信じているのならば、別の意味で怖くて近づけませんしね(笑)。


我々は、「信じつつ、信じない」というか、「信じたことにする」、あるいは「信じている自分を演じる」というような若干ややこしいことを、それと意識せずにやっちゃっているのです。

 

右足を出したあとには左足を出す、なんていちいち意識しなくても上手に歩けるように。

 

ネズミの国のミッキーというシンボルを大好き、という「私」の気持ちは主観です。

そのミッキーは実はなかに人間が入っているニセモノだ、というのがファクトです。

 

そのファクト認識をしつつ、主観はそれと矛盾なく、上手に作動しています。

これが大人の態度です。

 

子どもはミッキーは本物、と信じていてもいいのです。

とはいえ、「あんなのただのおっさんが着ぐるみ着てるだけやんか」と冷めてしまう態度もまた「大人の態度」ではありません。

そもそもそういう態度では、入場料がもったいない(笑)。

 

大山のぶ代が、かくかくしかじかの経歴を持つ声優だ、というのはファクトです。

水田わさびが、かくかくしかじか、以下同文。

 

これを大山のぶ代は実はアメリカが送り込んだスパイで、日本人を愚民化しようとしている、とか言い出すとこれはフェイクであり、陰謀論となります。

 

いずれにしても「大山のぶ代のドラえもんが大好き」という主観とは関係ない話なのですが、少なくとも大人であれば、ファクトを認識しつつ、陰謀論を廃しつつ、そして主観を楽しむのが望ましいわけです。

 

「私が好き」が拡大し、「正しい」と考えてしまいがち

新型コロナワクチンが、その発症や重症化や死亡を劇的に減らした。

これがファクトです。

 

それでもワクチンは痛くて嫌だ。

これはファクトに基づいた主観であり、誰にも否定できないものです。

 

コロナワクチンはアメリカの製薬企業と感染症の専門家と日本政府が結託した産物で、たくさんの日本人を殺している、はファクトではなくフェイクであり、かつ陰謀論です。

 

ワクチンが好きか嫌いかの議論と、ファクト認識は別々に扱わねばならないのです。

 

我々はついつい主語を大きくしてしまい、「私が好き」あるいは「嫌い」というものを「みんなが好き」「みんなが嫌い」に拡大してしまい、その勢いで「正しい」「間違っている」というファクト認識領域の判断にすり替えてしまいがちです。

 

「好き」と「正しい」は別概念ですし、「嫌い」と「間違っている」も別概念です。

でも、両者はよく混同されて使われています。

 

現在、日本にはたくさんの外国人が住むようになりました。その数は増えています。

 

外国慣れしていない人の中には、異なる肌の色、髪型、服装の人たちに恐怖や違和感を感じる人もいるようです。

それは「主観」の問題であり、誰にも否定できない感情です。

 

しかし、「外国人が増えると治安が悪くなる」「外国人のせいで治安が悪くなった」とか言い出すとこれは問題です。

 

実際、外国人在住者が増えても外国人による犯罪発生率は低いままで1)、かつ日本の治安は昔に比べてずっと良くなっています。これがファクトです。

 

多様な意見の存在を担保するのは、まっとうなファクト認識です。

 

間違ったファクト認識が「多様な意見」を「多々の間違った問題」に転化し、多様性を否定にかかります。

 

皆さんは大丈夫ですか。
 

 

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執筆

神戸大学医学部附属病院感染症内科 教授岩田健太郎

1997年 島根医科大学(現・島根大学)卒、1997年 沖縄県立中部病院(研修医)、1998年 コロンビア大学セントクルース・ルーズベルト病院内科(研修医)、2001年 アルバートアインシュタイン大学 ベスイスラエル・メディカルセンター(感染症フェロー)、2003年 北京インターナショナルSOSクリニック(家庭医、内科医、感染症科医)、2004年 亀田総合病院(感染内科部長、同総合診療・感染症科部長歴任)、2008年神戸大学大学院医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授 神戸大学都市安全研究センター感染症リスク・コミュニケーション研究分野 教授 神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長・国際診療部長(現職)

 

編集:宮本諒介(看護roo!編集部)

 

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