「紛争地の看護師」が内戦下の手術室で直面した試練と出会い

白川優子

看護師・国境なき医師団

 

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「国境なき医師団に入団する!」という長年の夢を叶えた私は、はじめての派遣先のスリランカで人手や医療資源不足に悩みながら、感染管理に取り組みました。

 

今回は、はじめて「紛争地」に派遣されたイエメンでの経験をお話ししたいと思います。

 

はじめての紛争地、患者さんを見て足がすくむ

「国境なき医師団に入りたい!」――20代、30代はその思いだけで突っ走ってきた私ですが、いざ入団してからのその先の具体的な活動イメージというのは、実はほとんど抱いていませんでした

 

のちに私は、『紛争地の看護師』というタイトルで、世界中の紛争地の活動を記録した書籍をのちに出版するなのですが、当初は、貧困地域や難民キャンプなどで支援を行うのだろう、となんとなく想像していただけでした。

 

そんな私が経験した初めての紛争地は、3回目の派遣となったアラビア半島のイエメンという国でした。
 

 

イエメンは、アラビア半島の南端部に位置する。

アラビア半島の南端部に位置するイエメン(提供:pixta)

 

2012年当時、イエメンでは政府軍と反政府軍の衝突が激化していました。

私は国境なき医師団が運営する外傷センターへ、手術室の質の向上を図る目的で派遣されました

 

手術室には9人の現地雇用の看護師がいて、そのうちの1人がチームリーダーとして手術室全体を管理していると聞いていました。

 

出発前は「行けば何とかなる!」と楽観的に思っていた私でしたが、いざ到着してみると病院に運び込まれる患者さんたちの姿を見て足がすくんでしまいました

 

「え?こういう場合、どうやって手術をするの?」

 

症例のほとんどが銃撃か爆撃に巻き込まれた外傷でした。

破片物が体中に突き刺さり、腕や足がもぎれそうな患者さんもいれば、内臓がお腹から飛び出している患者さんもいます。

 

日本では、癌や急性腹症などの一般外科をメインとした経験しかない私は戸惑いました。

 

(どうしよう、チームの質の向上どころか、まず何をしたらいいのか分からない…)

 

そんな私に気づいた手術室のチームリーダーのモハマドが近づいてきて声をかけてくれました。

 

俺たちが全部教えるから大丈夫だよ

 

そして、モハマドに率いられた他のチームメンバーたちもみな、私の到着を楽しみにしていたと、笑顔で歓迎してくれました。

 

温かいチームに迎えられ、(とにかくみんなの足を引っ張ってはいけない!)と気を引き締め、私の初めての紛争地での活動が始まりました。

 

モハマド(前列左から2人目)を囲んでの集合写真。©MSF

モハマド(前列右端)を囲んでの集合写真。©MSF

 

まずは負傷部の洗浄から。限られた環境でも最善を尽くす

救急室で一時処置をされてから運び込まれる負傷者に対し、この手術室でまず行うことは、麻酔をかけてから負傷部を中心に広範囲を大量の生理食塩水で洗うことでした。

 

感染が命取りとなる現場では、時間をかけて行うこの処置が極めて重要でした。

 

日本の手術室にあるような高圧の吸引つき洗浄器具はなく、砕けた骨がむき出しになっているような傷口を看護師たちの手で何度も洗います。

手術は、開放骨折の創外固定、開腹、四肢の切断、皮膚移植などがメインでした。

 

緊急患者が絶えないバタバタの手術室で、モハマドは全体を見ながら潤滑油のように動き回っていました

私も彼のあとについて行動しながら仕事内容を吸収していきました。

 

彼はチームから一目置かれ、彼がいることでチーム全体が引き締まる、そんな存在でした。

そんな彼の下で働けるというのは本当に幸運でした。本来は、逆に私がリードする立場でなくてはいけなかったのですが。

 

いつしか息抜きの場となった夜の手術室

チーム内ではあまり弱みを見せないモハマドも、時々「疲れた~」と言って休憩室でぐったりしていることがありました。

 

彼は24時間のオンコールを続けていたため、せめて夜だけでも休めるように夜のオンコールは私が引き取ることにしました


さらに私が帰国したあとのことも考え、彼を呼ばなくても夜の手術室が回せるよう、夜勤を行う看護師の全員にトレーニングを取り入れてみました

 

手術の対応だけではなく、医師や救急室との連携、記録や機材の滅菌、清掃、翌朝の準備までをみんなができればモハマドが顔を出す必要がなくなります。

 

私たちスタッフの住居は病院内にあり、手術室までは1分の距離でした。


私は、夜の緊急手術がない日でも差し入れを持って顔を出し、おしゃべりや音楽を取り入れながら夜勤の看護師たちと一緒にトレーニングを始めてみると、気づいたら外科医や麻酔科医までも(おしゃべりに)参加してくるようになりました。

 

ある時、「なんか楽しそうだね」と、休んでいてほしいモハマドまで姿を現した時には大笑いをしてしまいました。

 

外出禁止の紛争地の病院で24時間缶詰状態になっている私たちにとって、手術がいったん途切れた夜の手術室ではトレーニングを兼ねながら、いつしか息抜きの場となっていました
 

イエメンの首都サアナの旧市街地

イエメンの首都サナアの旧市街(提供:pixta)

 

頼れる仲間からの学びが、今の自分を支えている

イエメンを発った後、ここでの学びを応用する場面はすぐにやってきました。

 

内戦が勃発したばかりのシリアに派遣され、緊急で手配した民家の中の手術室と、たった2人しか集まらなかった手術室看護師、そのなかで医療の経験のない大学生たちに手術室や滅菌室のトレーニングをするという課題が与えられました

 

もうモハマドには頼れません。彼がいてくれたら、と何度も心の中で泣きながら、それでもなんとか3カ月の派遣を乗り切りました。

 

私はこのあたりから紛争地での活動に自信がつきはじめ、その後も戦争が止まない世界の各地の手術室での派遣を重ねていくことになりました。

 

これを書いている今、もしあの時にイエメン派遣がなければ、もしモハマドと出会っていなければ、もしかしたら今の私はいなかったかもしれないと振り返っています

 

あれから13年、私は世界各地の紛争地や災害地域で19回の派遣を経験しました。 イエメンでは未だ 紛争が続き、モハマドは未だに現地で頑張っていると聞いています。

 

 

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執筆

看護師・国境なき医師団白川優子

埼玉県出身。高校卒業後、4年制(当時)坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006 年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年より国境なき医師団(MSF)に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど10ヵ国18回回の活動に参加してきた。著書に『紛争地の看護師』(小学館刊)。

 

編集:横山かおり(看護roo!編集部)

 

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