胃瘻バッシングで生じた歪みを考える|胃瘻適応者への長期間の経鼻胃管は「虐待」だ
【日経メディカルAナーシング Pick up!】
聞き手:小板橋律子=日経メディカル
医療倫理的な視点から、人生の最終段階にある患者に対する延命治療の問題点を以前から指摘する会田氏。
社会的な胃瘻バッシングにより胃瘻造設が減る中、経鼻胃管による人工栄養投与の増加を憂う。
人工栄養は本来どう投与されるべきなのか。
そもそも、医療者は「人生の最終段階」をどう解釈すべきなのか。
――胃瘻バッシングという言葉があるほど、一般社会で「胃瘻はよくない」という誤解が広がっているようです。その現状をどう考えますか。
会田 私のことを胃瘻反対論者と考えている方がいるようですが、それは大きな誤解です。胃瘻造設というのは1つの優れた技術であり、その是非や善しあしを問うものではありません。患者さん本人のために胃瘻をどう使うかという問題なのです。
私が以前から反対しているのは、アルツハイマー病や老衰が進行して人生の最終段階にある患者に「食べられなくなったから、即、胃瘻」という考え方です。
そもそも最終段階にある患者に人工栄養を行うことは、患者の苦痛を増すだけでメリットがないことは、欧米では十数年前から言われてきました。
にもかかわらず、日本では安易な胃瘻造設が少なくなかった。そのために問題を提起してきました。
一般市民の中でも「胃瘻は良くないもの」という考えが浸透し、「胃瘻は良くないと聞いた。食べられないなら経鼻胃管で」と要望する患者家族が増えていると聞きます。
しかし、経鼻胃管は患者に大きな苦痛をもたらすものなので、一時的な使用に限定すべきです。それは医療者が一番よく知っているはずです。
胃瘻が適応となる患者に、長時間、経鼻胃管を行うことは患者の虐待ですらあると私は思っています。「食事ができないから胃瘻」「胃瘻はバッシングされているから経鼻胃管」という考え方は科学的でも倫理的でもないでしょう。
欧州静脈経腸栄養学会ガイドラインでは、まず、人工栄養を行うかどうかを考え、人工栄養が必要と判断されて、腸が機能している患者さんの場合に、短期間であれば経鼻胃管が適応となり、3週間以上の長期で人工栄養が必要と考えられる場合は胃瘻が適応となっています。
頭頸部や上部消化管の癌患者さんや外傷患者さん、神経疾患などで食事が取れない患者さんの場合、胃瘻は非常によい選択肢であることが多くの研究で示されています。
腸が機能している患者さんで、ある程度長期の人工栄養が必要であれば胃瘻が第一選択なので、「胃瘻は良くない」と誤解している患者・家族には、医療者がきちんと説明すべきだと思います。
「何もしないと忍びない」という周囲の気持ちが生む落とし穴
また、本人の意思を尊重し、本人らしい人生の集大成を支援するために人工栄養をしないと決めたにもかかわらず、何も投与しないことが「忍びない」との考えで経鼻胃管や点滴を行う場面があるとも聞きます。
これもおかしな話です。本人が人生の最終段階でどうしたいか、そこを大切にしないと、周囲の「忍びない」という思いが、逆に患者さんを苦しめてしまう危険性があります。
「何もしないのは忍びない」という気持ちは分かりますが、そうした場合により大切にされているのは家族や周囲の気持ちではないでしょうか。
患者さんが望んでいない人工栄養をすることは、患者さんの意思を尊重できていないことに他なりません。
病態によっては、胃瘻などの人工栄養を行うことで、患者さんの寿命が年単位で伸びることもあります。
そのため、胃瘻を差し控える・一旦始めた後に終了することに対して、医療者は直感的に「いけないこと」と思いがちです。救命と延命に専心してきた医療者がそう感じることは十分理解できます。
しかし、何らかの医療を行うことによって、本人の意思に反する状態で人生の最終段階を過ごさせることは、倫理に反すると考えるべきです。
厚生労働省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」は、2007年の初版は「終末期における」というタイトルでしたが、2015年に「人生の最終段階における」に変更されました。
これはとてもいいことだと思っています。その患者さんが終末期かどうかは医師目線の言葉で、「人生の最終段階」というのは本人の視線の言葉です。
自分の尊厳が維持できるか、自己肯定できるかが重視されたと受け止めています。
――自己肯定できるというのはどういう意味ですか。
会田 自分が自分を受け入れられる状態であり、自分はこれでいいと思える状態のことです。
医療行為は患者さんに益をもたらすことが期待されるときに提案されるのですが、医療行為は同時に患者さんの負担になることも多いですね。
医療が介入すると、患者さんは自己肯定できない時期を過ごさざるを得ない場合も少なくありません。
しかしその後の人生で、何らかの希望を見出せる可能性があるから、患者さんは医療を受けようと意思決定するのです。
治療とは患者の未来を想定して行うべきもの
治療とは、未来を想定して行うわけで、何らかの未来のために医療者は最善を尽くして治療しているはずです。
進行性の難病で徐々に弱るという状況であっても、患者本人が幸せを感じる未来は想定できるはずです。
しかし、意識障害が遷延している患者さんで、意識状態が回復する可能性がなく最期のときに向かっている場合、本人がそのような状態で生かされ続けることを容認しない価値感を有し、家族も本人の意思を尊重し本人らしい人生の集大成を支援して看取ろうとしている場合に、生命維持を継続することの意味は何でしょうか?誰のために何をしているのでしょうか?
こうした場合は、本人が自己肯定できない状態を医療によって継続していることになるのではないでしょうか。
つまり、医療によって患者さんの自尊感情を低下させ、尊厳を損なっていることになるのではないでしょうか。
そのような状況下の患者さんの場合は、本人の意思を尊重し、延命治療を終えて看取るという選択肢が必要になるはずです。
一方で、本人の意識障害が遷延していても、本人がそうした状態での自己の存在について否定的ではなく、家族らが本人の存在に肯定的な意味を見出している場合は、意識の有無にかかわらず本人の尊厳は維持されているといえるでしょう。
つまり、一人ひとりの患者さんによって意味が異なるということです。誤解してほしくないのは、本人が延命治療を望んでいる場合は治療を継続すべきということです。
本人の意思を尊重し延命治療を終了することが選択肢となる社会では、同時に、本人の意思を尊重し、本人が受けたい医療を受けることが保障されていなければなりません。
一人ひとり、人生の最終段階をどう過ごしたいかの希望は異なるはずで、その違いを尊重してこその尊厳ある死と考えます。私は自然死のみが尊厳ある死ではないと思っています。
ところで「誰かの世話になりながら生きたくない」という考え方がありますが、これは怖いメッセージだと感じています。
なぜなら「体が弱ったら生きていてはいけない」という他者に向けたメッセージになる危険性があるからです。誰かの世話を受けながらでも、自己肯定しながら生きることは可能でしょう。
私の講義を受けた学生が、「介護される人の自尊感情を維持するケアを提供できる社会は文化レベルが高いと思う」とリポートに書いてきたことがありました。
まさしくその通りで、介護される人の気持ちに配慮したケアを浸透させることが、今の日本が抱える大きな課題だと思っています。
<掲載元>
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