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2018年11月12日

患者が「真実の口」に手を入れたら何が起こる?

【日経メディカルAナーシング Pick up!】

加藤勇治=日経メディカル

 

今、大阪大学医学部附属病院で面白い取り組みが始まっています。外来玄関に「真実の口」が設置されているのです。

 

(写真1)10月30日には、マスコミも呼んだイベントが阪大病院外来で行われた。

 

皆さんご存じの通り、「真実の口」はローマのある教会に飾られている石の彫刻。映画「ローマの休日」で、ジョー(グレゴリー・ペック)が手を入れて抜けないという演技をしてアン王女(オードリー・ヘップバーン)を驚かすというシーンに使われたアレです。

 

この映画で「真実の口」は世界的に有名な観光スポットとなり、恐る恐る、でもつい手を入れてしまいたくなった観光客が列をなしています。

 

阪大病院に設置された「真実の口」は、口の中に手を入れると消毒液が手にかかる仕組みになっています(写真2)。

 

今ではどんな病院でも入り口に消毒液のポンプが設置されていますが、それを使ったことがない人、存在を気にも留めない人は少なくないでしょう。

 

この阪大病院の取り組みは、インフルエンザが流行り始めるこの時期に、来院する患者・家族に「何だろう?」と思わせ、つい手を入れたくなるシカケを凝らし、手指衛生の啓発を目的としています。

 

(写真2)「真実の口」の中身。手を差し出せば消毒液を適量出す装置が設置されているだけの簡単なシカケ。

 

病院にインフルエンザを持ち込まないために手を洗う、綺麗にすることが大切である、という、これまで色々な方法で啓発されてきたものの、いまいち定着していない行動を定着させるきっかけにする。

 

もともと大阪大学経済学研究科教授の松村真宏氏と愛知県のテレビ局が阪大病院近くの複合施設で市民を対象に実験するために作ったものを、阪大病院の感染制御部に所属し、同大医学系研究科博士課程の森井大一氏が借りてきて仕掛けたキャンペーンです。

 

(写真3)興味を持って手を入れてくれるか?

 

「インフルエンザ予防に手洗いを」「院内感染を防ぎましょう」と一方的に病院側から「お堅い」「上から目線」のメッセージを発していても、なかなか人の行動は変わらない。

 

人の情動(気持ち)に働きかけ、ついやってしまうという行動経済学の考え方に則って人の行動を変えるきっかけとしようと考えたといいます。

 

さらには、患者・家族の手指衛生への知識の高まりが、院内の医療者の手指衛生に対する“視線”となり(あ、あの先生、手を洗ってないとか)、巡り巡って医療者の手指衛生意識への働きかけにつながるかもしれない。そんな狙いがあり、それを検証していきたいと森井氏は言います。

 

行動経済学で有名なものといえば、少々尾籠な話で恐縮ですが、男性用小便器に貼ってあったハエや的のシールです。

 

もう10年以上前の話ですが、オランダの国際空港の男性用トイレの小便器にハエのシールを貼ったところ、男性がそれを狙うように小便をすることで飛び散りやこぼれが減ったというものです。

 

強制ではなく、自発的に(望ましい)行動を起こすためのシカケで、これを専門用語ではナッジ(nudge)と言うそうです。

 

これは日本でも取り入れられ、あちこちの男性用小便器に弓道の的や777などのシールが貼られました。日本のシールは小便が当たると色が変わって当たりや777が出るよう工夫されており、“的があると狙いたくなる”という心理を利用したものでした。

 

確かに小便器にシールが貼られたとき、たくさんの男性が的を狙ったでしょう。しかし、今、辺りを見渡したとき、このシールが貼られている小便器はとても少ないように感じます。

 

あれほどたくさん見かけたのに、今は見る機会がほとんどありません。一過性のブームだったのでしょうか(ひょっとしたら、日本人の美学に合わなかっただけかもしれませんが)。

 

「ああしなさい、こうしなさい」では人の行動は変わらない。人の感情を揺さぶるきっかけとしてナッジを用意し、自らの意志で正しい行動させてみる。

 

しかし、ナッジはあるところで慣れてくる。慣れてきたとき、人々の中でそれが習慣化すればそれ以降、人々は自然にその行動を取るようになり、ナッジは役割を果たし終えたと言える。

 

しかし、習慣化されなかったら、飽きてしまってブームで終わり、ナッジは行動を促すという効果を持たなくなる。

 

行動を習慣化できたナッジとできなかったナッジは何が違ったのか、明らかにしたい。森井氏はそう言います。

 

(写真4)「病院にとって来訪者の手指衛生は重要な課題だが、こうした新しい取り組みで啓発が進むことを期待している」と語る阪大附属病院病院長の木村正氏(産科婦人科教授、左)とイベントを仕掛けた森井大一氏(右)。「メディアで取り上げられることも、人々の行動を変えるきっかけとして興味を持ってもらうための大切な要素の1つ」とイベントの趣旨を語る。

 

さらに、ついやってしまう行動が社会規範になって初めて定着する。社会規範とは、他者の目のこと。

 

誰かの視線が気になるので行動する。さらにその先には、自分がその行動をしないと自分自身の倫理(内なる目)として許せない、というところまで行動を定着させられれば、その取り組みは成功と言える。

 

そして大事なのは、自分自身の倫理として定着させる際に、「手指にはこれだけのバイ菌がいます」「そのバイ菌の持ち込みでこれぐらい院内感染率が上がります」「これぐらい死亡率が上がります」という正しい知識(お堅いメッセージ)が必要となると森井氏は言います。

 

一例として、2006年に福岡で起きた飲酒運転による死亡事故があります。このとき子どもが事故で亡くなり、社会が怒りに満ち、飲酒運転に対して厳しい目が向けられるようになりました。

 

でもここまでは今まで何度となく繰り返された飲酒運転事故と同じです。この2006年のケースは、社会が怒りに充満しているときに、飲酒運転を検挙するという法律の運用がしっかりとなされるようになった。だから皆が飲酒運転を避けるようになった。

 

そして、ついには「飲酒運転って自分をも不幸にするよね」「飲酒運転で自分の人生を棒に振るのはあほらしいよね」と自分自身の倫理に定着したからこそ、飲酒運転を激減させる効果があったと言います。

 

医療の世界にも、望ましい行動をしてほしいのに、なかなかそうしてもらえない、ということはたくさんあります。

 

行動を変えてもらうために何十年と時間をかけて啓発し、ほんの少しずつ変わってきたものもありますが、少し理論的に行動変容を起こしてみようという取り組みに注目したいと思います。

 

<掲載元>

日経メディカルAナーシング

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