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2016年08月12日

「杖の音」―看護師が体験した怖い話【四】

看護師が実際に体験した怖い話(?)を全5回にわたってお届けする本企画。

 

第四話は、ベテラン看護師が新人時代に体験したお話です。

 

彼女は仕事のできない新人でしたが、ある患者さんが心の支えになってくれました。

 

やがて彼女は成長しますが、そのとき、もう患者さんは……。

 

新人看護師の身に起こった、不思議な物語。お楽しみください。

 

 

夏の怪談―看護師が体験した怖い話

第四話「杖の音」

 

 

これは今から30数年前、私が看護師1年目のときに体験した話です。

 

飲み込みが遅かった私は、任される仕事がどんどん増える同期を見ては落ち込む日々を送っていました。

 

だから、初めて患者さんを受け持たせていただいたときは心底うれしかったです。

 

任されたからには迷惑はかけられない。そう思い必死に働きましたが、それでもミスをしてしまうのが新人の頃の私でした。

 

「ドジでマヌケ」という言葉は自分のためにあるんじゃないかと、本気でくよくよしたものです。

 

 

そんな私が初めて担当した患者さんのなかに、忘れられない方がいます。

 

 

頼りない私を嫌な顔ひとつせずに見守ってくださった、ただ1人の患者さんです。

 

 

とても品の良い、お年寄りの男性でした。

 

 

コツ、コツ、コツと杖を鳴らしながら懸命に歩く姿が、今でも頭に浮かびます。

 

 

何度も車いすをお薦めしましたが、「最後まで自分の足で歩きたい。だから肩を貸してくれ」、いつもそんなふうに拒まれました。

 

 

振り返ってみれば、その「最後まで」という言葉を、私はもっと大切にすべきでした。

 

 

彼は、私が採血で失敗するたびに、「まだ新人なんだから、今は失敗するといい」と笑ってくださいました。

 

 

私と一緒に謝る先輩に対しても、よくこう言ってくださったのです。

 

 

「この子には、いつも肩を貸してもらっているからね」

 

 

彼の右斜め前に私が立ち、彼の右手が、私の左肩に添えられる。

 

 

いつもそうして一歩ずつ、私たちは病院の廊下を歩きました。

 

 

 

 

「そろそろ1人でも大丈夫そうね」

 

先輩に独り立ちのお墨付きをいただいたとき、私の受け持ち患者さんは6人になっていました。

 

でも、そのなかにあの患者さんはいませんでした。

 

 

一人前と呼ぶには未熟でしたが、あの人にも、それなりに成長した姿を見てほしかった。

 

 

 

 

彼が旅立ったのは、ちょうど私がお休みをいただいていた日の深夜でした。

 

 

 

 

いつものように、先輩とペアで夜勤をしていたときのことです。

 

 

 

ナースコールが鳴りました。

 

 

 

私と先輩は顔を見合わせました。

 

 

 

 

点灯したランプが示す病室は、そのとき空いているはずだったからです。

 

 

 

「ほかの病室の患者さんがいたずらしたのかしら」

 

先輩は怪訝そうに言いました。

 

 

 

「こんなこと、これまで一度もなかったんだけれどねえ」

 

 

 

ふと、同僚たちがよく話していた「◯◯病院では誰もいない病室からナースコールがあるらしい」という話を思い出しました。

 

 

怖がりな私は嘘だと決め込んでいたのですが、今鳴っているのは間違いなく空き部屋。

 

 

 

激しく脈打つ胸のあたりを押さえながら、私は先輩と病室へ向かいました。

 

 

 

ところが、真っ暗な病室にあるのは静けさだけで、患者さんの姿も怪しげな人影もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

「機械の故障だったんでしょうか」

 

 

近くの病室の方々も静かに眠っているようだったので、「変なこともあるもんですね」と、私と先輩は不思議な気持ちになりながら、元来た廊下を歩き始めました。

 

 

 

 

コツ、コツ、コツ。

 

 

 

 

病室に誰もいないことは、さっき確認したばかり。

 

 

 

ほかの患者さんも寝ているはず。

 

 

 

なのに、その音は、たしかに聞こえてきました。

 

 

 

 

 

コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。

 

 

 

 

 

いつの間にか早歩きになる私たち。

 

早く明かりの灯るナースステーションに戻りたい。

 

 

 

 

 

しかし音は一向に途切れる気配を見せません。

 

 

 

 

 

それどころか、恐怖心から振り返れずにいる私たちに構うことなく、近付いてきたのです。

 

 

 

 

 

 

コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。

 

 

 

 

 

 

そして、「コツ――」と、得体の知れないそれは私たちのすぐ後ろで止まりました。

 

 

 

 

 

 

私は、その場を動けなくなりました。

 

左肩に、なにかが触れたからです。

 

 

この感触は、もしかして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じミスを繰り返す私。

 

いつまでも先輩に甘やかされている私。

 

お別れの挨拶も満足にできなかった私。

 

 

 

本当は、「ドジでマヌケ」な私に呆れていたのかもしれない――それが杖の音だと理解した瞬間、そんな考えが浮かびました。

 

 

 

 

でも私は、そのあとすぐに、一瞬でもそう思った自分を恥じることになりました。

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

今にも消え入りそうなほど小さな声で、けれども間違いなくあの患者さんの声で、そう言ってくれたから。

 

 

 

 

彼は杖を使って、自分の足で、その言葉を伝えてくれたのです。

 

 

 

 

恐怖心は、もうこれっぽっちもありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか左肩の感触が消えていることに気付き、やっと私は振り返りました。

 

 

でも、この目に映ったのは、非常灯の薄明かりに照らされた廊下の輪郭だけ。

 

 

 

「こちらこそ、今までありがとうございました」

 

 

 

できることなら、生前の本人に直接伝えたかったこの言葉。

 

 

気付けばとなりにいた先輩も、私と同じように、誰もいない廊下に向かって頭を下げていました。

 

 

 

 

今までありがとう。

 

 

 

病院で旅立ちを待つ患者さんに、看護師は、その言葉を口にできません。

 

だからきっと、先輩も伝えたかったのだと思います。

 

出来損ないの後輩に優しくしてくれて、ありがとう、と。

 

 

 

 

 

 

あのときの不思議な体験は、死ぬまで――いえ、死んだあとの世界でも、忘れることはないと思います。

 

 

もちろん、誰かに信じていただかなくてもいいのです。

 

 

こうして30年以上も看護師を続けることができたのは、ひとえに、「ドジでマヌケ」だった新人を見守ってくれたあの患者さんがいたからこそだと、私は信じていますから。

 

 

おわりに

新人だった彼女は、恐らくほかの患者さんや同僚から冷たい言葉を投げ付けられたこともあると思います。

 

しかしその患者さんは、彼女の「一生懸命さ」を理解していたのでしょう。

 

患者さんを助ける看護師が、逆に患者さんに助けられることもあるのですね。

 

 

 

最終話につづく――。

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  • 1.終末期の食事では、味わうことよりも栄養を重視した食事摂取ができるようサポートする。
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