「笑い」の力を医療現場の力に。ホスピタル・クラウンが日本に根づく日

闘病中の子どもたちや患者さんを訪ね、パフォーマンスを通じて病室の空気を変える。それが「ホスピタル・クラウン」の活動です。大棟耕介さんは、プロのクラウンとして活動を行いながら、ホスピタル・クラウンの活動も約10年間、全国の病院で続けてきました。

 

 

ホスピタル・クラウンインタビュー【後編】

 

プロの道化師として活動中に知った「ホスピタル・クラウン」の活動

ホスピタル・クラウンは、1980年代、アメリカでサーカスに所属していたマイケル・クリスチャンセンが、友人の子どもが入院している病院を訪ねたのが始まりだと言われています。自らもホスピタル・クラウンの活動を行い、その存在を広めたアメリカ人の医師・パッチ・アダムスは、映画のモデルにもなっています。


日本で聞きなれない「クラウン」とは道化師のこと。日本では道化師=ピエロと解釈されていますが、本来は道化師の総称がクラウンで、様々なクラウンの中のキャラクターのひとつがピエロなのです。元々、アメリカではパーティーなどにクラウンを招く文化が根づいていることもあり、病院を訪問するホスピタル・クラウンの活動も浸透しています。


大棟さんとクラウンの出会いは、大学卒業後、鉄道会社で働いていた時のことでした。入社2年目に「もっと明るい性格になりたい」とカルチャースクールの「クラウン講座」を受講したのがきっかけで、プロのクラウンを目指します。高校時代、棒高跳びで全国レベルの成績を残し、大学の体育学部で学んだ大棟さんは、どんどんレベルの高い技術を習得。クラウンKという愛称でプロのクラウンとして活動するようになります。


そんな大棟さんがホスピタル・クラウンの活動を知ったのは、プロのクラウンとして活動を始めて9年近くが過ぎた2003年。クラウンの勉強のためにアメリカを訪れた時のことでした。

 

「数人のクラウン仲間に誘われて子ども病院を訪問することになったんです。アメリカではWCA(ワールド・クラウン・アソシエーション)というクラウンのコンテストで銀メダルを取ったばかりでしたから、自信満々でした。はりきって病院に行ったのですが、病室の空気の重さに圧倒されてしまい、何もできなかったんです。それどころか病室に入ることすらできませんでした」


その後、アメリカで何度も病院を訪れ、この活動の重要性を実感。同時に難しさも感じていたため、知識、スキル、経験を持ったクラウンを増やすなど、慎重に準備を進めました。

 

 

そして、2004年にいよいよ日本でもホスピタル・クラウンの活動を広めるため、病院への訪問を開始します。一番初めに活動を行ったのは、名古屋第一赤十字病院でした。

 

「私たちの活動拠点である名古屋で最も大きな病院のひとつということで、自分から話を持っていきました。当時の看護師長だった奥村潤子さん(現・日本赤十字豊田看護大学教授)が、笑いが患者にもたらす影響の大きさを実感されていたこともあり、やってみたいと言ってくださった。そして病院にもかけ合ってくださったんです」

 

この病院での活動をきっかけに、少しずつ受け入れてくれる病院が増えていきました。

 

被災地でも活きたホスピタル・クラウンの経験

日本での活動に加え、大棟さんは2005年からパッチ・アダムス氏主催のロシアの病院慰問ツアーに参加。さらに7年前からはウクライナの小児病棟でパフォーマンスをするツアーなどにも参加してきました。そして2011年3月の東日本大震災以降は、被災地でも活動を続けています。

 

「実は最初は“クラウンが被災地に行って、いったい何の役に立てるのだろう”という気持ちが強かったんです。でも、ホスピタル・クラウンの活動を知っている方から、たくさんの現金と手紙が送られてきて。アメリカのクラウン仲間からも寄付金が届き、その思いを届けるためにも被災地入りを決意したんです」

 

最初の被災地入りは4月上旬。福島県最大規模の避難所となったビックパレットふくしまでした。

 

「初めて行った時、パフォーマンスをやっても被災者の方たちに引かれてしまうと思いました。それほど空気が重かった。でも、ここでホスピタル・クラウンの活動で培ったノウハウが活きたんです。ショーを押し付けるのではなく、興味を示してくれるのを待ちました」

 

そうやって相手の反応を見ながら活動を続け、宮城県の避難所などで延べ1カ月以上、パフォーマンスを行ってきました。その後、被災者の生活の場が避難所から仮設住宅になったことで、2011年11月からはサーカス用のテントを使った公演を始めました。


「仮設住宅のテレビを見ながら1人で笑うのではなく、みんなが集まって笑うということが大事だと思ったんです。続けていくことも大切だと思っているので、今も公演は続けています」

 

訪問の料金はゼロのことも。続けるには認知と寄付が必須の現実

アメリカで多くのクラウンが病院で活躍できるのは、認知度の高さだけでなく、ドネーション(寄付)文化が根づいていることも大きいと大棟さんは語ります。

 

 

現在、ホスピタル・クラウン協会では、研修中のクラウンも含む80人で分担して全国63の病院を月に2回まわっています。プロフェッショナルとして必ず訪問することにこだわり、間に合いそうになければ飛行機を使ってでも行くこともあるのだとか。

 

それでも訪問のための料金は設定していないため、主に自治体の助成金や企業、賛助会員からの寄付などで賄っています。ただ、交通費や人件費などで年間300〜400万円かかることから、交通費負担などの申し出があった病院などを優先せざるを得ない状況だそうです。

 

「看護師さんたちが組合の積立を利用して賛助会員になってくれたりすることもあって、それは本当にうれしいですね。今はクラウンの人数も足りないため、基本は小児病棟のみですが、アメリカではホスピスなどをまわっているクラウンも多いので、将来はクラウンと資金を増やし、高齢者施設などにも活動を広げたいです」

 

ホスピタル・クラウン協会には全国の各エリアに所属の認定クラウンがおり、自分のエリアにある病院を中心に活動を行っています。病院での活動は平日が中心のため、男性よりも主婦をはじめ、女性が多いそうです。看護師として働いているクラウンもいて、その場合は自分の勤務する病院は訪問しないことになっています。

 

病院や患者さんがクラウンをジャッジできる日を目指して

今後は年間30人を養成し、認定クラウンを各県に2〜3人ずつ配置できるように、200人まで増やすのが目標です。

 

「地元の病院を地元のクラウンが訪問し、その活動を地元の自治体や企業が応援するのが理想です。まさにアメリカのような体制ですね。そのためにもっとたくさんの人にホスピタル・クラウンの活動を知っていただき、文化として根づかせたい。今は知らない人の方が多いので、どんなクラウンでも受け入れてもらっていますが、病院や子どもたち、患者さんがクラウンをジャッジできるようになったら、我々の使命は果たせるのではないかと思います」

 

患者さんの表情、気持ちを読み取りながら、パフォーマンスをするクラウンのスキル。看護師の業務にも役立つ部分がありそうです。興味を持った方は大棟さんの講演や著書もチェックしてみてはいかがでしょうか。

 

【前編はこちら】ホスピタル・クラウンインタビュー(前編)

 


<プロフィール>
特定非営利活動法人日本ホスピタル・クラウン協会理事長/有限会社プレジャー企画代表取締役会長
大棟耕介


1969年生まれ。愛知県出身。2004年、ホスピタル・クラウンの活動を開始。WCA/ワールド・クラウン・アソシエーションでは、2003年にシングル部門第2位、2008年にグループ部門第1位を獲得。現在はホスピタル・クラウンの活動で国内外の病院をまわる他、遊園地やサーカスでもパフォーマンスを行う。年間約200本の講演も行っており、「道化師が動いた!」(生産性出版刊)、「ホスピタルクラウン 病院に笑いを届ける道化師」(サンクチュアリ出版)など著書も多数。

 

NPO法人 日本ホスピタル・クラウン協会
有限会社プレジャー企画 

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